イベント報告
【東北関東大震災】現地での支援活動から戻ったコープしずおかのお二人に聞きました

【東北関東大震災】<インタビュー>
現地での支援活動から戻ったコープしずおかのお二人に聞きました

 私たちにできることを。
 日本生活協同組合連合会と全国の生協が協力し立ち上げた『東日本大震災支援隊』。コープしずおかからも、組合員活動部諏訪部部長と葬祭サービス担当の井出さんを含む4人が第1陣メンバーとして約1週間、みやぎ生協の支援に参加しました。
 「職場で周りを見渡して自分が行くべきだと思った」と諏訪部部長、当初は「亡くなった人を運ぶかも知れない」と言われたそうです。
コープしずおか諏訪部部長
諏訪部氏
 この震災で、みやぎ生協48店舗中19店舗が休業、1店舗は津波で流出、物流センターが被災。今回の任務は、被災した物流センターから営業している店舗へ品物を運ぶことでした。
 第1陣は、コープしずおかより4名、コープかながわより6名の計10名。3月19日9:30、新横浜ユーコープ本部を身の回りの荷物と食糧・水10人分を1週間分積み、『おうちコープ』のトラック5台に分乗し出発(神奈川3台・静岡2台)、桶川市の日本生協連物流センターでトイレットペーパーや簡易トイレ、野菜などを積み込み、翌日午前1:00、宮城県岩沼市にある日本生協連グループ(株)CXカーゴに到着しました。東北自動車道は、緊急車両のみ通行可能、ガソリンスタンドも緊急車両優先だったので早目の給油で対応したそうです。
コープしずおか井出さん
井出氏
 翌日から乗ってきたトラック5台を使い18の店舗へ商品を運び、さらに現地職員と、安否確認を兼ねて宅配や共同購入を利用しているお宅を訪問、乳幼児・子供・老人の1人世帯を優先に、粉ミルクや紙おむつ、乾物類などの物資を無料で提供しました。呼び鈴を押しても応答のないお宅では、窓から中を覗き込んだり、勝手口を叩いて名前を呼んだりしたそうです。海岸沿いは津波で家も瓦礫となってしまったのですが、片付けや貴重品、人を探しに来ていた人がいるので、トラックで走りながら顔なじみがいると止まって声を掛けていきました。市街地は一見地震の被害を感じなかったものの、海岸近くの橋を渡ると家が流されていて風景が一変、同乗しているパートさんから「川に車が落ちて人がまだ乗っているから見ない方がいい」と言われたそうです。そのパートさんも、配達中地震にあい危ないので山の方に逃げ無事でしたが、津波が後を追いかけてきたと言います。
被災地(仙台空港近く。なお、写真は2枚とも井出さんより提供)
被災地の様子
 コープの中でも親を亡くし、自ら避難所で暮らしている人をはじめ、みな食べ物がない中で仕事をしていたそうです。「昼は食べ物がないんです」「家に持って帰りたい」と働いている人も大変です。買い物は組合員優先なので、職員は自店での買い物が禁止されています。これは、コープとしてのお客様を優先するポリシーの現れとも言えます。
被災地
被災地の様子1
 今回特に印象に残ったことは、組合員宅を回り無事を確認していったところで、これは、日頃顔見知りになっていることからできることであり、この事業が役に立っていると実感したそうです。また、仙台東部道路からの眺めは、田んぼに瓦礫や車が散乱、家が跡形もなく、仙台空港も無機質で津波の恐ろしさに息をのんだとのこと。
 ボランティアへのアドバイスを伺ったところ、次のようにお答えいただきました。
 「必要としているところに行かないと、勝手に行っても混乱させてしまうだけ。やれることにも限界があるので、私たちにできることをやればいいと思う。1人きりで落ちているゴミを拾って清掃している人もいましたから。また、2~3日なら栄養補助食品でも大丈夫だと思いますが、長期になると温かいものが欲しくなります。服装は作業着など動きやすいものと防寒具、お風呂に入れないので水のいらないシャンプー(ドライシャンプー)やシャンプーナップも便利です」
 お二人は、3月25日(金)に静岡に戻りました。
 なお、静岡県生協連からは成田さんが、500人分の切り分けた食材を持参して、豚汁の炊き出しに隊長として参加しています。
ライフサポートセンターしずおか

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