静岡市が団塊世代などを対象に設置した静岡暖快倶楽部が、会報を発刊しました。静岡市の公共施設(公民館や図書館など)に設置されています。ライフサポートセンターしずおかの静岡事務所(静岡市鷹匠)にも若干備え置きがあります。
静岡県退職者福祉協議会では、今年初めての試みとして
県内東中西の4つの施設に希望を伺い、物品の寄贈を行いました。
ティンクル様(沼津市):ティータイム用皿3セット
地域生活支援サービスまあぶる様(静岡市):コンパクトオーブン他2点
しずおか地域支援ネット様(静岡市):電動沸騰ポット
クリエイティブサポーターレッツ様(浜松市):DVDプレーヤー他
団塊の世代はもとより、人間誰しも情報収集や、自己を磨いたあとには発表の機会を持ちたいというのが普通の感情ではないでしょうか。その場所選びには苦労するものの、どうせ発表するなら人通りの多い繁華街で、と考える方もいるはず。
今日はそんなあなたにピッタリの、ギャラリー・ワタナベカメラ。場所は静岡伊勢丹のすぐ近く、サンドイッチのSUBWAY2階です。ここを使って「生きがいづくり」に挑戦するのはどうでしょう。
実はこのギャラリー、ある程度の年齢以上の静岡人なら思い出すカメラ店、ワタナベカメラのあった場所がギャラリーになったもの。ワタナベカメラの創業は、約80年前。写真が庶民のものになったのは戦後であることを考えると、文字通り老舗とよぶのが相応しいのです。
この老舗を戦後経営してきた渡辺豊さんが廃業を決意し、ギャラリーに改装したのは1996年。その後渡辺さんは、「我が人生に悔いなし」との自叙伝を著し、2005年に逝去されています。ワタナベカメラは改装後も証明写真の撮影を2006年まで続けましたが、今ではギャラリーのみの営業です。改装後10年以上たった今でも、「証明写真を撮って欲しい」というお客さんが見えるというあたり、老舗たる所以でしょうか。事務所には今でも名残の中古カメラが置いてあります。
ギャラリーの設計は、島田にある海野光弘版画記念館を設計した柴田彰さん。重厚な梁と、落ち着いた雰囲気が、街中であることを忘れさせてくれます。実際、ギャラリー内は静かで、時間の流れがゆっくりと感じます。
展示は写真、絵画、書、彫刻など、美術を愛好する方々が作品発表の場として利用できます。
展示の例↓
梁と照明→
ギャラリー・ワタナベカメラ
■〒420-0031 静岡市葵区呉服町2-2-4
■開館時間 10:00AM~7:00PM(利用者による)
■休館日 水曜日
■面積 43.50㎡
■お問合せ ℡054-254-3571 Fax054-254-3573
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My Life My Way
私にとって大切なのは、自由であること、他人と違うこと
須田智恵美さん
【社会人になると広告業界に飛び込み、実力だけの世界でがむしゃらに働いた。3年たって、会社のために何ができるかを問われ、独立を決意。以後フリーのコピーライターとして活躍。実績を買われ、フリーペーパーの副編集長にもなった。この職をひととおりこなしたと判断するや、退職していったん休養。今年4月からNPO法人男女参画フォーラムしずおかのスタッフとして、経験を生かし、講座の企画や自らも講師などをつとめている。広告業界で学んだ事をバックボーンに、一ヶ所に安住しない道を行く。自分自身の勘を信じ、行動しながら考える「哲学者」でもある】
-名刺に三つの肩書きがあります。①キャリアアドバイザー②モチベーションマスター③静岡コピーライターズクラブ会員。①と③はイメージできますが、モチベーションマスターとは何ですか。
アメリカでヒラリー・クリントン上院議員のブレーンをしている人が始めたメソッドだと聞いています。「コーチング」に似ていると見られることもありますが、コーチングはPositive Thinking(前向き思考)が前提で、やる気を喚起するイメージがあります。モチベーショントレーニングは、人間の原体験をスイッチにする。社会のバイアスに縛られてしまった精神を、そうなる以前の無条件で世界に受け入れられた時の五感をスイッチとして、モチベーションを自分でコントロールするのが特徴です。
-奥が深そうな話ですね。そのスイッチは、どのように切り替えるのですか。
例えば人間はちょっとしたことでモチベーションが落ちたり、上がったりしますが、落ちる前にコントロールできれば、深く傷つくことを避けられ、やる気も回復できる。単にモチベーションが上がれば良いというわけでもなく、上がりっぱなしはハイテンションではあるけれど、疲れます。したがって、寝る前にはモチベーションのスイッチを切る。入れたままだと燃え尽きてしまいます。
-そういうスイッチの切り替えが、人生に大きな影響を与えるということですか
そうです。仕事でのダメージを引きずる人は、家に帰ってもダメージを抱えている。うまくいっているはずなのに、仕事のマイナス面で家庭の平和も乱されてしまうというのは、皆さん経験済みではないでしょうか。
-おっしゃることはありますね。ところでフリーのコピーライター時代は、バブルの後で厳しかったんじゃないですか。
さして営業もしていないのに、なぜでしょう。「運がよかった」ということになるのかなあ。
-思い出に残る仕事を教えてください。
ある時、反応が悪いので何とかしたいという自動車ディーラーの求人広告の依頼が来ました。そこで、ディーラーがそれまで採用していた求人広告を見せてもらったら、車の写真を使い、車の魅力で求人を行う内容となっていました。これでは車を買いたい人には訴求効果があっても求人効果はありません。私は、職を探している人の気持ちに沿って考えました。独身男性を求職者のメインイメージとし、彼らが暮らしていそうな、雑然とちらかっていて、扇風機とスキー道具が並んで置いてあるような部屋の写真を全面に使いました。そしてキャッチコピーは「休日に家にいないあなたは見込みアリ」と打った。どんな人材を求めているのかをユニークに表現しました。この広告ではすぐに3人応募がありました。以後同様の視点で5~6本を作りましたが、車の写真は一度も使いませんでした。ほかにも「ディーラーがきつい仕事だという誤解を放っておいてすみません」などのキャッチコピーを使いました。それまでディーラーというのは拘束時間が長く、土日は出勤、仕事もきつい、というイメージでした。それを逆手に取ったのです。求人広告というのは究極の広告なんです。というのも、結果が求人数という形ですぐに現れるからです。読者に勝つ前に、同じ広告誌に載っている500社の求人に勝ち、自分のページに折り目を付けてもらわなければならない。それが腕を試される場でもあり、やりがいであり、面白さでもあるわけです。
-アイセル21に来た経過は。
以前から「NPO法人男女共同参画フォーラムしずおか」の活動に関わっていました。今年同法人が指定管理者となり、育休スタッフが戻ってくるまでという条件で声がかかったので、トライすることにしました。
-ご自分の生き方を、どう見ていますか。
これまではずっと、「自分探し」をしながら行動してきました。しかし、ここにきて初めて、「自分探し」をしない「実験」をしています。与えられた状況に、自分自身はどう反応するのかを見極めたいと思っています。
【取材メモ】話をしているだけで、こちらが元気になってくる。モチベーションマスターという肩書きを知らずに話をした時から、須田さんには独特のオーラがありました。広告業界で身に着けた技術をバックボーンとして、自分は何をしたいのか、自分は何者か、を常に考えていたそうです。考えるだけではなく行動してみる。この一歩が普通はなかなか踏み出せないものです。須田さんは行動し、考える、考えて、行動する、を繰り返してきたのです。「哲学を体で考えている」ということですかね、と水を向けると、「それ、いい表現ですね」と須田さん。あくまで視線は真っ直ぐの、人の心に火をつけるコピーライターです。
※須田さんが講師をつとめる講座
①広告のプロが教える「自分」の売り込み術入門 9月6、13、27日の全3回(9:30~12:00)。参加申し込み締切8月24日17:00 お問合せ、お申込みはアイセル21まで。→終了。
②現在「目からウロコのチラシづくり講座」(仮称)の企画がライフサポートセンターしずおか・静岡県労働者福祉基金協会の共催で進行中。10月実施予定。対象は労働組合、福祉事業団体、NPOにおいてチラシ作成に携わる方20名。決定次第このブログにてご案内します。→終了。
My Life My Way
静岡の良さを上海の人たちに紹介したい
シー・ヤー・シュアンさん
【中国上海(シャンハイ)出身。小さい頃から世界を見たい、という思いを強く持ち、来日。現在静岡市内の大学で国際関係を学ぶ4年生。昨年から今年にかけてはイギリスにも留学、視野を広めた。日本語、英語を流暢に話す。生活費、学費はすべてアルバイトで捻出。大好きな静岡は、故郷上海では意外に知られていない。静岡を上海の人に知って欲しいとの思いが募る】
-中国ではどんな学生時代を過ごしましたか。
両親は上海出身ですが、父の職場が諸葛孔明で有名な湖北省に変わり、そこで育ちました。私が中学生の時に家族は上海に戻り、私も上海の中学に入りました。その後高校を経て専門大学に進みました。
-上海に戻ったとき、苦労はありましたか。
慣れるのに大変でしたが、この時代にできた友人が親友となりました。
-大学卒業後の経過を教えてください。
いったん中学校教師になり、その後退職して来日。静岡の日本語教育センターで日本語を勉強し、静岡の大学に入学しました。
-費用負担が大変だったんじゃないですか。
来日時に必要な費用の一部は両親が貸してくれました。その後はイギリス留学費用も含め学費も生活費も自分で働いて賄って来ました。両親から借りたお金も返しました。
-国際関係を学ぼうとしたのはなぜですか。
中国の大学では化学を勉強しましたが、世界の政治や経済を幅広く学びたかったからです。
-日本の大学に入ったときに、どんなことを感じましたか。
クラスが無く、大きい授業は200人、小さい授業は5~6人ということに戸惑いました。また、週5~6日はアルバイトが入っていたのでサークルに入れなかったのですが、大学ではサークルで友達ができることを後から知り、入っておけば良かったと思いました。
-ロンドンでの生活はどんなでしたか。
日本に来る夢も、一度はあきらめましたが、叶いました。ならばもっと世界を見たい、と思いました。中国で英語も習っていたので、もっと英語を勉強したくて渡英しました。授業は午前、午後は有名な大英博物館の読書室で勉強したり、ロンドン三越でアルバイトをしたりしました。1年間のロンドン滞在で得たものは、英語力、面白い日本人の友達、世界の広さ、人の考え方の多様性など。人はそれぞれ自分の価値観でものごとを見てしまいますが、ロンドンは多様性に寛容な街。私自身、心が広くなったと思います。
-シーさんの夢を教えてください。
大きく言えば日中交流に役立つことです。文化交流に役立ちたい。現在も折に触れ、そうしたイベントがあれば参加するようにしています。
【取材メモ】シーさんの、世界を知りたいという思いの強さには感銘を受けました。また、静岡が好きだということも、地元生まれとしては嬉しい限り。ずいぶん苦労をされたことと思いますが、それに負けないエネルギーが、周りにも伝わってきました。